結びの力
ゲストハウスを卒業しました。
そして、新たに吹屋で家を借りて生活を始めてます。
4人くらいは泊まれる大きな家だからいつでも遊びに来てください笑
さて、
今日はこっちで田舎生活を始めて8ヶ月が経ち、ゲストハウス卒業という節目の時なので、この8ヶ月で体感して学んだことと自分の興味ある分野をくっつけて色々書きなぐっていきます。
「人との繋がり」という言葉があります。
僕が最初に吹屋に来るきっかけになった言葉の内の一つです。
都会では人との繋がりが希薄になっている的な論が主張されたり、田舎の人たちの繋がりは強い的な声を聞いたりします。
確かに僕も東京で生活してる時よりは、こちらでの生活のほうがより多くの人と関わらせてもらっているなと強く感じます。
都会のほうが人口は圧倒的に多いのに不思議だねえ。
都会では人との繋がりが希薄になっているのではなく、人と関わろうとする人が減ってきてるだけじゃないかなと思います。
都会では色んなことが便利になり、1人でも暮らしていけるから直接誰かと関わらなくても生きてはいける。
人との繋がり
人との関わり
繋がりは生きている限り続く。
関わろうとするかしないか。
田舎で生活してる人たちでも地域やご近所さんと関わろうとせずに、ひっそり静かに暮らしてる人たちも普通にいます。
逆に都会でも、近所付き合いを大切にして生活してる人たちもたくさんいると思います。
だから住んでる場所に関係なく、その人に人と関わろうとする意思があるかないかだけの違いですねきっと。
まぁでも、都会と田舎の両方で生活してみて、田舎のほうが圧倒的に人と関わりやすいと思いますが。
では「人との繋がり」とはなんなのか。
目には見えないけど確かにあるような、なんだかつかめない漠然とした言葉。
ずーっと頭の片隅にあった言葉。
こっから僕の興味のある分野の話。
僕は目には見えない世界に興味があります。
マクロ的な宇宙、銀河のことや、
ミクロ的な量子力学の世界のことや、
人の魂や死のことや。
なんで好きかというと、単純明快とてもシンプルな世界だからです。
ごちゃごちゃしておらず、理にかなっていて、とても美しい世界だと思います。
でも吹屋で生活をしてから、この「現実」の世界もとても楽しく美しいと思えるようになりました。
少しは成長できてるかな。笑
さっき半年ぶりくらいに本を読んでたんですが、その中に量子力学に関する話が出てきて、それ読んだ時にずーっと考えてた「人との繋がり」について自分なりにすっきりしたので、思考の整理も兼ねて書かせてもらいます。
日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんの「中間子理論」。
中間子とは何かを超ざっくり言うと、二つの素粒子の間を行ったり来たりしてる素粒子。
中間子が行ったり来たりすることによって、二つの素粒子は結びついた状態であれる。
素粒子とは、この世界に存在する見えるもの見えないもの全て含めたありとあらゆるものの人間が観測できる限り究極の最小単位。
要はいっっっっちばん小ちゃいもの。
ヒモのような波のような根源的なエネルギー。
だから、人間の体にしろスマホにしろ、全ての物質はその素粒子たちが集まって出来上がってます。
なので、中間子が素粒子の間を行ったり来たりしないと、全ての物質はバラバラになっちゃいます。
ここまでそんなに間違った説明はしてないはず。笑
分かりにくかったらすんません。
で、ちょっと普通の世界の話に戻ると、
二つの物体、あるいは二人の人間でもいいんですが、その二つが結びつけられている状態というのは、
ヒモのような何かでグルグル結びつけられてるとか、あるいは赤い糸のような、何か分からないけど引力的なサムシングがあるおかげで、二つのものが結びついているような感じがします。
ですが素粒子の世界では、ヒモでぐるぐる巻きにしたりせずとも、中間子が素粒子の間を行ったり来たりするだけで二つの物質を結びつけているようです。
なんだか不思議な感じじゃないですか?
ちょっと面白くないですか?
くっつけよう!
とか
引っ張りあおう!
とかって感じではなく、
小さな物質が行ったり来たりすることで、
結びついている
って感じ。
ここで僕は「はっ」としました。
僕たちを形成している、1番根本の素粒子の世界の結びつきがそうであるなら、きっとフラクタル(相似)的に人間同士の結びつきも、目には見えない何かが行ったり来たりすることで繋がりあってるだけじゃないかと。
人と人との間を行ったり来たりするもの。
多分それらは
愛、情、思いやり、悲しみ、憎しみ、怒り、
のようなもの。
どんな物が間を行ったり来たりするかによって、その繋がりの質は変化しますね。
だから、人とどんな繋がり、結びつきにしたいかは、
その人とどんなキャッチボールをしたいかだと思います。
与えて受け取り、受け取り与える。
Yes,so simple.
ただ、それだけ。
巷では、与えることの重要性を説く自己啓発本が人気だったりします。
キリストも
「与えよ、さらば与えられん」というお言葉を残してます。
これはその通りだと思います。
自分が相手に与えたものが、まるまる自分にも与えられる。
相手に与えてあげれるものは、潜在的に自分には“ある”と思ってるものだから、自分にも与えられる。
逆に、相手に与えられないものは、“自分には足りてない、持ってない”と潜在的に思ってるものだから、自分にも与えられない。
ここでキャッチボールの話に戻すと、人との繋がりにおいて与えることが重要であるならば、同様に受け取ることも非常に重要だと思います。
周りの人に与えるだけ与えて、自分は受け取らないという人がいます。
「自分には何かを受け取る価値がない」とか根底で思っている人であったり、
あるいは、人に言いたいこと言うだけ言って、相手からの助言や諫言は受け取らない人。
こういう状態の人は、周りの人たちと豊かな繋がりを持てないかもしれません。
呼吸に例えると、息を吐くだけ吐いて、吸うのを忘れちゃってます。これでは苦しくなります。
つまり、自然の流れに逆らっている。
さっきの繋がりの話と照らし合わせても、上手くキャッチボールができてないから結びつくことができない。
逆もまた然り、与えず受け取るだけの人。
溜め込むばかりでは濁ってしまう。
人間関係、感情、お金、情報
ほとんど全てのことにおいて当てはまると思います。
自然界の法則に従い、キャッチボールすること、循環させてあげることが豊かに生きる道の一つだと感じてます。
ごちゃごちゃ書いたけど、要は与えたらきちんと受け取る。頂いたらきちんとお返しする。
そのキャッチボールにどんな意思をのせるか、どんな関わり方をしようとするかで、その繋がりの質が変わる。
繋がりは生きてる限り無限に続く。
関わり方次第でその繋がりの質が変わる。
だから自分がどんな繋がり方をしたいかで関わり方を決めればいい。
こちらに来て8か月、色んな人と関わり、色んな繋がりができました。
ある人たちとは信頼し合い笑いあえる繋がりを。
ある人たちとはそうでない繋がりを。
自分の課題は人を受け入れること。
受け入れてるつもりだけどきっと受け入れてないことが多い。
関われば関わるほど見えてくる。
自分は鋭利な刃物のような一面もあることを再認識しました。
戌亥天中殺の僕は2018年2019年から天中殺なのできっとその辺の試練もあると思いますが、2020年に精神的に一皮向けた銘形一哉になれるよう精進して参ります。
戌亥天中殺の人は共に精進していきましょう。笑
まあ今回はこんな感じで。
長い文章をここまで読んでくれてありがとうございました。
それではまた!