日々はぁ豊か

気の向くままに日々の思考を言葉にします。

無知こそ可能性

 

僕は東京からチャリンコで吹屋にやってきたのですが、やれた理由はただひとつ、

 

どんな道のりか知らなかったから。

 

 

 

仮に東京から吹屋までの道を車で通って知っていたら、絶対にやらなかったと思うし

 

知ってしまった今は絶対やらない笑

 

 

 

つまり、

 

知らないからこそできることがあると思ってます。

 

 

 

 

 

 

ただただ年齢を重ねていくと、動きにくく、変化しにくくなります。

 

 

 

 

それは知っていること、知ったつもりになっていることが増えていくから。

 

 

 

 

 

今まで通りに動いた方が楽だし心地良いし何が起きるか予想できるし。

 

 

それはそれで全く問題ありません。安全第一。

 

そのおかげで人類は繁栄してきました。

 

 

 

 

 

ただ、

 

知らないこと、分からないこと、未知なこと

 

 

 

これらは恥ずべきことでも恐怖でもなく、可能性です。

 

 

可能性は無限大。

 

 

そして可能性は未来です。

 

 

一人一人の未来には、それぞれに無限大の可能性が満ちています。

 

 

 

 

無意識に、過去からの習慣である既知を繰り返すか、

 

 

意識的に、未来の可能性である未知に飛び込むか。

 

 

 

 

今を変えれば未来も過去も変わります。

 

 

 

あなたが変われば次の誰かの希望になります。

 

 

 

 

人生を大きく変える小さな第一歩は、

 

 

「自分は無力だ」という幻想を解くこと。

 

 

 

どんな偉人と呼ばれる人たちも、

 

 

最初は普通の人だったと思います。

 

 

 

何が彼らを普通の人たちと一線を画したか、

 

 

 

それはやることを決め、やり続けたこと、ただそれだけ。

 

 

 

 

やるか、やらないか。

 

 

 

 

 

悩むなら行動する。行動しないなら悩むことを諦める。

 

 

 

悩みとは「自分を変えたい」という欲求です。

 

 

 

 

悩んでいるなら自分のために変わりましょう。

 

 

 

 

今日という日の自分は、これからの人生の中で1番若い自分です。

 

 

 

 

いつからでも遅くない。

 

 

 

 

動かないと変わらない。まじで。

 

 

 

 

今日からやりましょう。

 

 

明日やろうはバカやろう。

 

 

 

 

やめた先にも道は続いています。

 

 

考えるな、飛び込め

 

 

人生は素晴らしい

 

 

 

また書きます。

 

 

 

 

破壊ではなく創造で

 

子供たちから学んだこと。

 

 

 

中国に一年間留学している時に、ある留学生団体に所属していました。

 

 

 

その団体の主な活動は、日本人留学生を中国の農村部(いわゆる貧困地域と呼ばれる地区)に連れて行き、

 

 

実際の農村地域の現状を目で見て肌で感じてもらったり、その土地にある小学校に訪問して子供たちと交流してもらったりすること。

 

 

 

子供たちと交流する中で大切なことを教えてもらいました。

 

 

 

中国の子供たちに日本文化を知ってもらいたいとの目的で、けん玉やダルマ落としなどの日本のおもちゃで一緒に遊ぶという時間がありました。

 

 

 

子供たちは面白いもので、興味があるものに飛びつきます。最初にけん玉を紹介すると、みんな目を輝かせて「やってみたい!!」と騒ぎ出します。上手くいってもいかなくても、みんなケラケラ笑いながら遊んでいました。

 

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しばらくして他のスタッフがダルマ落としを始めると、今まで大はしゃぎで遊んでいたけん玉を放りなげて、全員がダルマ落としに釘付けになりました。

 

 

 

これが純粋無垢な子供たちの凄いところ。この時に自分は、今に繋がる大きな気づきを得ました。

 

 

 

 

 

 

僕は留学中、時間があり余っていました。

そのあり余る時間の中、ネットでたくさんの‘‘ネガティブ’’な情報に触れました。

 

 

 

いわゆる陰謀論のようなこと、大きなお金の流れや世界の構造や仕組み、人の心を明るくすることはできない情報。

 

 

 

そんな情報に触れ続けた結果、心がすさみ、虚しくなり、「なんて世界に生きているのだろうか」と絶望するようになっていました。

 

 

 

現在の仕組みや構造をぶっ壊さない限り、明るい未来はないだろうと本気で思っていました。

 

 

どうしたら変えれるか、どうしたら壊せるか、そんなことばかり考えていました。つまり、何かを破壊するためにエネルギーを使っていました。

 

 

 

 

 

しかし、そんな時にさっきの子供たちとの触れ合いがあり、彼らは自分に大きな気づきを与えてくれました。

 

 

 

 

 

破壊せずとも、何か新しい本質的なものが生まれれば、自然と人はそこに集まる、と。

 

 

 

 

 

 

けん玉をしていた子供たちは、新しく出てきたダルマ落としに目を奪われ、そして動きました。

 

 

 

 

けん玉を壊した訳ではなく、ただ新しいおもちゃが出てきたから。

 

 

 

 

 

 

 

何かを破壊しようと思っていた自分は、ハッとさせられました。

 

 

 

 

 

 

そして、「今あるネガティブな仕組みを破壊するためではなく、新しい何か豊かな仕組みを創造するためにエネルギーを使おう」と意識を変えました。

 

 

 

 

破壊する必要はない、新しく創造すれば良いだけ。破壊的なエネルギーでは、豊かな未来は創れない。

 

 

 

 

そんなことを子供たちから教えてもらった気がします。

 

 

 

 

 

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これまでもこれからも、子供たちは世界共通で最強の存在です。純粋無垢な子供たちのために豊かな未来を創っていきましょう。

 

 


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明けましておめでとうございます

 

2019年になりました、いつのまにか。

今年もご縁のある方々たちにはお世話になりますよろしくお願いしますありがとうございます。

 

 

ここ最近は沢山の友人たちが吹屋に来てくれています。

 

 

吹屋に来て、吹屋の人たちと関わっている友人たちの姿や雰囲気、言葉を聴くと、

やはり吹屋には若者たちにとって大切なものが残っている、改めてそう確信しております。

 

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2017,2018年、自分のテーマは地に足を着けることでした。

 

風船のように多くの物や事や人や国を俯瞰してふわふわと旅人のように生きていた自分が、

 

吹屋という土地に根付いて生きていくと覚悟を決め、その土地で働き、その土地の人々と関わり、その土地の作物を頂き、その土地で命を使う。

 

自分で認めてあげれるくらい濃密な時間を過ごし、かけがえのない経験ができました。

 

本当に沢山の人たちに支えてもらい生きることができています。

 

ありがたやありがたや。

 

 

地に足を着けると決め、経済的にも豊かになろうと決めた期間でした。

 

 

なぜお金を稼ぐのか。

大切なのは、出口を先に考えることだと知りました。

お金を何のために使うのか。

 

数年前の自分はお金をそこまで稼ぐ必要のない生活をしていました。守るものもない、物欲もない、自分の生活する分だけ稼げば十分でした。

 

吹屋にきて、吹屋の人と関わり、そして特に子供たちと関わり、自分は経済的にも豊かになり余裕を持って人に奉仕できる人間でありたいと感じました。

 

 

吹屋や日本の未来のため、大切な大好きな人たちのため、愛おしい子供たちの喜ぶ姿のため、これらのためであれば喜んでお金を使おうと決めました。

 

 

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お金は力。

この地球での生活のなかでお金は大きなエネルギー。

力は使いよう。

 

 

力愛不二

力と愛は二つにあらず

愛なき力は暴力

力なき愛は無力

 

愛をもって何のために力であるお金を使うか。

 

出口が決まれば自ずと入る。

シンプルな循環。

これからもそのように生きていきます。

 

 

 

 

これからも地に足を着けつつ、

2019年、これからは新たにテーマを決めました。

 

「繋ぐこと」

 

 

僕はこれから自分でも全く予想していなかった仕事を始めます。

 

 

 

 

 

 

 

飲食店を始めます、

しかもうどんそば屋さん笑

 

 

 

どんなお店かというと、

 

吹屋という土地が観光地になりたての頃、その時はまだ吹屋には飲食店がありませんでした。

 

観光地になればお客さんが来る、しかしお客さんが来ても食事をする所もなければ休憩する所もない、

 

そんな時に吹屋の人びとが立ち上がり、「来てくれた人たちがお茶でも飲んで休憩できる場所を作ろう」と地域住民で組合をつくりました。

 

それがこのお店

 

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吹屋ふるさと村 休憩所

 

 

約50年くらいの歴史があり、現在は83歳のおばあちゃんと還暦前のおばちゃんがやっています。

 

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粉から掻いて足で踏んで手で打つスタイルの田舎のうどんそば。

 


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ちょっと動いたらみんなでお茶タイム

これがかなり楽しい

 

 

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地域のおばあちゃんたちの集いの場

 

 

 

 

吹屋の歴史と記憶がたくさん詰まってるうどん屋さん、

 

それを継がせていただくことになりました。

 

 

 

僕の想いは、吹屋の記憶を繋ぐこと、地域の人の集いの場にしてお酒を飲みながら笑い合える場にすること、吹屋の未来を語る場作りをすること、吹屋に遊びに来てくれた人が温かみを感じられる場にすること。

 

 

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来てくれた皆さんが豊かな経験をするお手伝いをさせていただきます。

 

 

 

ぜひ遊びに来てください、めっちゃ濃い時間になると思います。大切なことを思い出せると思います。

 

 

 

こんな感じでこれからも世間の予想の斜め上をひっそり生きていく銘形一哉ですが、どうぞよろしくお願いします。

 

 

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天変地異の中で

 

この2ヶ月で

豪雨、台風、地震などの地球現象により

南から西から東から北にかけて

多くの人々に影響がありました。

 

 

 

自分が生活している岡山県でも

未だに生活に制限がかかっている人々がたくさんいます。

それでも復興に向けて日々一歩ずつ多くの人が動いています。

 

 

 

こんな状況の中で改めて感じること、

それは、大切なことは日々一人一人が幸せだと感じれるように生きていくこと。

 

 

 

今日までの当たり前が、明日、急に当たり前でなくなり得るような今日この頃、

それでも今日までと同じことを続けていくのか。同じ場所にとどまるのか。同じ人と過ごしていくのか。

 

 

 

どんな選択も正解だと思う。

が、唯一の不正解があるとすれば、自分が正解だと思っていることに反して生きていくことだと思う。

 

それでも、大きな視点でみればそれすらも正解になると思うけど。

 

 

 

要は動くこと。

変わってほしいと祈るのではなく、変えていくこと。

 

机の上のコップを動かしたければ、祈るよりも手で動かしたほうが早い。

 

 

 

まずは自分が幸せに。

 

 

 

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Have a good moment

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Everywhere now you live in is the most wonderful place in the world.

 

 

 

 

 

 

どうして人は旅をするのでしょうか。

 

 

 

 

景色

食事

インスタ映え

 

 

 

 

 

 

何かを求めて旅をする。

今の自分には無いものを。

 

でも旅する度に気づく。

そこにも何も無いことに。

 

求めて探して期待して、

また繰り返して疲弊して。

 

ようやく気づく

既にある答えに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな師匠より

どんなブッダより

どんなキリストより

 

 

一番の先生は自分自身だと思う。

 

 

自分の中に教えも答えも詰まってる。

 

 

外に指針を求めると

自分が何者かが分からなくなる

 

 

 

親、友人、学校、会社、国

誰のために生きてるのか

 

 

 

自分を生きれるのは誰なのか

 

 

きっと自分だけが自分を生きられる

 

 

 

では、自分を生きるために必要なことは何か

 

 

 

 

それは自分を知ること

 

 

 

 

自分とは何者なのか

世界にとっての自分の役割とは何か

自分の魂は何を望んでいるのか

 

 

 

 

 

仮に魂が光であるとすれば、

魂を知るためには真っ暗な闇が必要になる

 

 

 

 

星が夜空の闇の中で輝いて見えるように

 

 

 

闇の中で自分という存在が見えてくる。

 

 

 

 

認識して初めて意識的な生が始まる。

 

 

 

 

 

 

人は光を求めるけど、

光だけでは自分は見えてこない。

 

 

 

 

 

誰かと楽しくわちゃわちゃするのも大切だけど、

独りきりになり孤独な闇の中に自分を置いてあげる時間も必要。

 

 

 

 

 

 

そして問い続ける、

自分は何がしたいのか、何をしてる時が幸せなのか、どう生きていきたいのか、自分とは何者か。

 

 

 

 

そして何かが見えてくる、

自分の役割、使命、魂的な何かが、きっと。

 

 

 

 

 

それを知った上で生きること、人と関わること。

 

 

 

 

 

 

悟りを開いたお釈迦様が、山の中でひっそりと生活せずに、俗世に戻って生活したように。

 

 

 

 

 

ずっーと孤独でいたら役割を果たせない。

 

 

 

 

バランスが大事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

環境や状況は関係ない。

自分の在り方だけが世界に影響する。

 

 

 

 

今、自分が生きている場所でどう生きるか。

今、自分が関わっている人とどう関わるか。

今、自分が何をしているのか。

 

 

ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

連続する今をどう生きるか。

 

 

「未来」からやってくる期待や不安に惑わされると、今、何もできなくなってしまう。

 

 

想像を生きるのではなく、リアルを生きる。

 

 

3次元の地球に生まれた者だけに与えられる特権、「現実」を生きること。

 

 

フェイスブックのためでもインスタグラムのためでもなく、現実を生きること。

 

 

 

 

 

教えようとするのではなく生きること。

伝えようとするのではなく生きること。

 

 

 

誰かに見せようとしなくても、

必ず誰かが見てくれている。

 

 

親なり友人なりコロ助なり

 

 

誰も見てくれてなくても

お天道様は見てくれてる、きっと

 

 

 

だから生きれる。

 

誰も見てくれてなかったら人は生きれない。

 

というより、誰も見てくれなければ、人は存在できない、量子力学的には。

 

 

 

 

まあ何でもいいんだけど、

とりあえず、全てはきっと、大丈夫。

 

 

 

 

そんなこんなで、今日も楽しく生きていきましょう。

 

 

 

 

 

それではまた👋

 

 

 

 

 

結びの力

 

ゲストハウスを卒業しました。

そして、新たに吹屋で家を借りて生活を始めてます。

 

4人くらいは泊まれる大きな家だからいつでも遊びに来てください笑

 

 

さて、

今日はこっちで田舎生活を始めて8ヶ月が経ち、ゲストハウス卒業という節目の時なので、この8ヶ月で体感して学んだことと自分の興味ある分野をくっつけて色々書きなぐっていきます。

 

 

 

 

 

「人との繋がり」という言葉があります。

 

 

僕が最初に吹屋に来るきっかけになった言葉の内の一つです。

 

 

都会では人との繋がりが希薄になっている的な論が主張されたり、田舎の人たちの繋がりは強い的な声を聞いたりします。

 

 

 

 

確かに僕も東京で生活してる時よりは、こちらでの生活のほうがより多くの人と関わらせてもらっているなと強く感じます。

 

 

 

 

 

都会のほうが人口は圧倒的に多いのに不思議だねえ。

 

 

 

 

都会では人との繋がりが希薄になっているのではなく、人と関わろうとする人が減ってきてるだけじゃないかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 都会では色んなことが便利になり、1人でも暮らしていけるから直接誰かと関わらなくても生きてはいける。

 

 

 

 

 

 

 

人との繋がり

人との関わり

 

 

 

 

繋がりは生きている限り続く。

関わろうとするかしないか。

 

 

 

 

 

 

田舎で生活してる人たちでも地域やご近所さんと関わろうとせずに、ひっそり静かに暮らしてる人たちも普通にいます。

 

 

 

 

 

逆に都会でも、近所付き合いを大切にして生活してる人たちもたくさんいると思います。

 

 

 

 

だから住んでる場所に関係なく、その人に人と関わろうとする意思があるかないかだけの違いですねきっと。

 

 

 

 

 

まぁでも、都会と田舎の両方で生活してみて、田舎のほうが圧倒的に人と関わりやすいと思いますが。

 

 

 

 

 

 

では「人との繋がり」とはなんなのか。

  

 

 

 

 

目には見えないけど確かにあるような、なんだかつかめない漠然とした言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずーっと頭の片隅にあった言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こっから僕の興味のある分野の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は目には見えない世界に興味があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

マクロ的な宇宙、銀河のことや、

ミクロ的な量子力学の世界のことや、

人の魂や死のことや。

 

 

 

 

 

 

 

なんで好きかというと、単純明快とてもシンプルな世界だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ごちゃごちゃしておらず、理にかなっていて、とても美しい世界だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも吹屋で生活をしてから、この「現実」の世界もとても楽しく美しいと思えるようになりました。

 

 

 

 

 

少しは成長できてるかな。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっき半年ぶりくらいに本を読んでたんですが、その中に量子力学に関する話が出てきて、それ読んだ時にずーっと考えてた「人との繋がり」について自分なりにすっきりしたので、思考の整理も兼ねて書かせてもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんの「中間子理論」。

 

 

 

 

 

 

中間子とは何かを超ざっくり言うと、二つの素粒子の間を行ったり来たりしてる素粒子

 

 

 

中間子が行ったり来たりすることによって、二つの素粒子は結びついた状態であれる。

 

 

 

素粒子とは、この世界に存在する見えるもの見えないもの全て含めたありとあらゆるものの人間が観測できる限り究極の最小単位。

 

 

 

 

 

要はいっっっっちばん小ちゃいもの。

ヒモのような波のような根源的なエネルギー。

 

 

 

 

 

 

だから、人間の体にしろスマホにしろ、全ての物質はその素粒子たちが集まって出来上がってます。

 

 

 

 

 

なので、中間子が素粒子の間を行ったり来たりしないと、全ての物質はバラバラになっちゃいます。

 

 

 

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クォーク素粒子

 

 

 

 

 

 

ここまでそんなに間違った説明はしてないはず。笑

分かりにくかったらすんません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ちょっと普通の世界の話に戻ると、

 

 

二つの物体、あるいは二人の人間でもいいんですが、その二つが結びつけられている状態というのは、

 

 

ヒモのような何かでグルグル結びつけられてるとか、あるいは赤い糸のような、何か分からないけど引力的なサムシングがあるおかげで、二つのものが結びついているような感じがします。

 

 

 

 

 

 

ですが素粒子の世界では、ヒモでぐるぐる巻きにしたりせずとも、中間子が素粒子の間を行ったり来たりするだけで二つの物質を結びつけているようです。

 

 

 

 

 

なんだか不思議な感じじゃないですか?

ちょっと面白くないですか?

 

 

 

 

くっつけよう!

 

とか

 

引っ張りあおう!

 

 

 

とかって感じではなく、

 

 

 

小さな物質が行ったり来たりすることで、

 

 

結びついている

 

 

 

って感じ。

 

 

 

 

 

ここで僕は「はっ」としました。

 

 

 

 

僕たちを形成している、1番根本の素粒子の世界の結びつきがそうであるなら、きっとフラクタル(相似)的に人間同士の結びつきも、目には見えない何かが行ったり来たりすることで繋がりあってるだけじゃないかと。

 

 

 

 

人と人との間を行ったり来たりするもの。

 

 

 

 

 

 

多分それらは

愛、情、思いやり、悲しみ、憎しみ、怒り、

のようなもの。 

 

 

 

 

どんな物が間を行ったり来たりするかによって、その繋がりの質は変化しますね。

 

 

 

 

だから、人とどんな繋がり、結びつきにしたいかは、

その人とどんなキャッチボールをしたいかだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

与えて受け取り、受け取り与える。

 

 

 

 

Yes,so simple.

 

 

 

 

 

 

 

ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

巷では、与えることの重要性を説く自己啓発本が人気だったりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリストも

「与えよ、さらば与えられん」というお言葉を残してます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはその通りだと思います。

自分が相手に与えたものが、まるまる自分にも与えられる。

 

 

 

 

 

 

 

相手に与えてあげれるものは、潜在的に自分には“ある”と思ってるものだから、自分にも与えられる。

 

 

 

 

逆に、相手に与えられないものは、“自分には足りてない、持ってない”と潜在的に思ってるものだから、自分にも与えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでキャッチボールの話に戻すと、人との繋がりにおいて与えることが重要であるならば、同様に受け取ることも非常に重要だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

周りの人に与えるだけ与えて、自分は受け取らないという人がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分には何かを受け取る価値がない」とか根底で思っている人であったり、 

 

 

あるいは、人に言いたいこと言うだけ言って、相手からの助言や諫言は受け取らない人。

 

 

 

 

 

 

 

こういう状態の人は、周りの人たちと豊かな繋がりを持てないかもしれません。

 

 

 

 

 

 

呼吸に例えると、息を吐くだけ吐いて、吸うのを忘れちゃってます。これでは苦しくなります。

 

 

 

つまり、自然の流れに逆らっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきの繋がりの話と照らし合わせても、上手くキャッチボールができてないから結びつくことができない。

 

 

 

 

 

 

 

逆もまた然り、与えず受け取るだけの人。

 

 

 

 

 

 

 

溜め込むばかりでは濁ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

人間関係、感情、お金、情報

ほとんど全てのことにおいて当てはまると思います。

 

 

 

 

 

 

 

自然界の法則に従い、キャッチボールすること、循環させてあげることが豊かに生きる道の一つだと感じてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ごちゃごちゃ書いたけど、要は与えたらきちんと受け取る。頂いたらきちんとお返しする。

 

 

 

 

そのキャッチボールにどんな意思をのせるか、どんな関わり方をしようとするかで、その繋がりの質が変わる。

 

 

 

 

 

繋がりは生きてる限り無限に続く。

関わり方次第でその繋がりの質が変わる。

だから自分がどんな繋がり方をしたいかで関わり方を決めればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらに来て8か月、色んな人と関わり、色んな繋がりができました。

 

 

 

 

ある人たちとは信頼し合い笑いあえる繋がりを。

ある人たちとはそうでない繋がりを。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の課題は人を受け入れること。

受け入れてるつもりだけどきっと受け入れてないことが多い。

 

 

 

 

 

 

 

関われば関わるほど見えてくる。

自分は鋭利な刃物のような一面もあることを再認識しました。

 

 

 

 

戌亥天中殺の僕は2018年2019年から天中殺なのできっとその辺の試練もあると思いますが、2020年に精神的に一皮向けた銘形一哉になれるよう精進して参ります。

 

 

 

 

 

 

戌亥天中殺の人は共に精進していきましょう。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ今回はこんな感じで。

長い文章をここまで読んでくれてありがとうございました。

 

 

それではまた!

 

 

9136日目 Birthday

おかげさまで、10/17をもって25歳を迎えることができました。

 

 

 

 

 

やはり誕生日に、メッセージや手紙やプレゼントをもらえるのは嬉しいですね。

 

 

 

 

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 嬉しいプレゼントも色々いただきました。

 

 

 

 

そして今年もまたひとつ、スナフキングッズが増えました笑

 

 

 

 

 

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スナフキン好きを公言してるおかげで少しずつ集まってきてます。笑

 

 

 

 

 

「好き」って不思議なエネルギーですよね。

 

 

 

 

 

でも、なんで「好き」に集まるんですかね。

 

 

 

 

 

 

てか、そもそも「好き」ってなんですかね。

 

 

 

 

 

人が好き、異性が好き、物が好き、お金が好き、etc

 

 

 

 

 

 

スナフキンが好き→スナフキン集まる ◯

 

 

お金が好き→お金集まる ?

 

 

誰かのことが好き→その人と付き合える ?

 

 

 

 

 

 

まあ一概には言えないですね。

 

 

 

 

 

お金が好き、と公言してお金が集まる人もいればそうでない人もいるし、

  

 

 

誰かのことが好きで、両想いになる人もいれば片想いで終わる人もいるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はスナフキンが好きですが、別にスナフキングッズを欲しいとは思ってないんですよね。

 

 

もちろん好きだから、プレゼントしてもらえたらとても喜びますが。

 

 

 

これが「好き」のおもしろいとこですよね。

 

 

 

 

 

僕は、ただ、スナフキンが好きなんですよね。

 

 

 

 

スナフキングッズをもらったから、スナフキンが好きなのではなく、

 

 

 

 

ただただ、スナフキンが好きなんですよね。

 

 

 

 

 

だから、スナフキングッズをプレゼントされたら、嬉しいんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この順序が逆になると、期待に苦しむパターンになりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

スナフキングッズが欲しい、つまり喜びを感じたい→スナフキン好きだと公言する→もらえない→私は不幸だ→人生はクソだ

 

 

 

 

 

 

極端すぎるかな笑

 

 

 

 

 

 

お金とか人に置き換えると分かりやすいか。

 

 

 

 

お金たくさん欲しい。私はお金があれば幸せになれる→お金好きだと公言する→お金がない→私は不幸だ→人生はクソだ

 

 

 

 

 

あの人が好きだ。あの人とお付き合いできれば私は幸せになれる→告白する→フラれる→私は不幸だ→人生はクソだ

 

 

 

 

まぁ無きにしも非ず。笑

 

 

 

 

 

 

期待しながら生きてると、だいたい苦しむ結果になりますね。

 

 

 

 

 

 

 

私はお金があれば幸せになれる。

 

 

言い換えると、お金がなければ私は幸せになれない。お金のない今の私は幸せではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

同様に、

 

あの人とお付き合いできれば私は幸せになれる。

 

すなわち、あの人とお付き合いできなければ私は幸せになれない。自分自身で幸せになることはできない。

 

 

 

 

 

 

 

期待ってつまり、幸せとか喜びを条件化することなんですかね。

 

 

〜があったら嬉しい。

〜してもらえたら幸せ。

 

 

 

でも、幸せとか喜びって、そういうものではなくて、実は既に身の回りに溢れていて、それに気付けるかどうかだけだと思います。

 

 

 

 

 

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る。

 

 

 

 

 

 

 

豊かさとは、身の回りに溢れている幸せに気付ける力だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が豊かな人はどんな些細なことに対しても感謝できる力がありますね。

 

 

 

 

 

 

お金は豊かさの内の2%くらいしか占めてないと思います。

 

 

 

 

 

豊かさの扉が100あったとしたら、そのうちの2つだけです。

 

 

 

 

 

 

豊かさをお金に制限すると、残りの98個の扉の鍵を閉めてしまうようなもんです。

 

 

 

 

 

 

 

また惜しからずや。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたの右腕を5000万円で売ってください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

断ったあなたは、自分の右腕に5000万円以上の価値があると思ってるわけです。

 

 

 

 

 

つまり、既に5000万円以上の資産を持っているわけです。

 

 

 

 

 

 

あーらお金持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普通に空気を吸えてるのって、どれくらいの価値があるんでしょうか。

 

 

 

 

身体が自由に動かせることにはどれだけ価値があるんでしょうか。

 

 

 

 

 

見渡せば、周りは豊かさに溢れてます、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好き」ってなんだろうから飛躍しましたが、要は「好き」は「好き」ってだけでいいと思います。

 

 

 

「好き」のその先を求めなくてもいいんじゃないってことですかね。

 

 

 

   

 

 

 

 

あなたを好きになれた私は幸せ。

 

 

お金を好きと言える私は幸せ。

 

 

 

まぁ僕らはだいたい幸せですよ、ほんとに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに書いたけど、やっぱりまとまらない感じが僕らしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

25歳はどんな年になるんでしょうか。

 

 

 

とりあえず地に足つけて日々を生きていきます。

 

 

 

 

 

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豊かな日々に感謝。

 

それではまた!