日々はぁ豊か

気の向くままに日々の思考を言葉にします。

天変地異の中で

 

この2ヶ月で

豪雨、台風、地震などの地球現象により

南から西から東から北にかけて

多くの人々に影響がありました。

 

 

 

自分が生活している岡山県でも

未だに生活に制限がかかっている人々がたくさんいます。

それでも復興に向けて日々一歩ずつ多くの人が動いています。

 

 

 

こんな状況の中で改めて感じること、

それは、大切なことは日々一人一人が幸せだと感じれるように生きていくこと。

 

 

 

今日までの当たり前が、明日、急に当たり前でなくなり得るような今日この頃、

それでも今日までと同じことを続けていくのか。同じ場所にとどまるのか。同じ人と過ごしていくのか。

 

 

 

どんな選択も正解だと思う。

が、唯一の不正解があるとすれば、自分が正解だと思っていることに反して生きていくことだと思う。

 

それでも、大きな視点でみればそれすらも正解になると思うけど。

 

 

 

要は動くこと。

変わってほしいと祈るのではなく、変えていくこと。

 

机の上のコップを動かしたければ、祈るよりも手で動かしたほうが早い。

 

 

 

まずは自分が幸せに。

 

 

 

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Have a good moment

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Everywhere now you live in is the most wonderful place in the world.

 

 

 

 

 

 

どうして人は旅をするのでしょうか。

 

 

 

 

景色

食事

インスタ映え

 

 

 

 

 

 

何かを求めて旅をする。

今の自分には無いものを。

 

でも旅する度に気づく。

そこにも何も無いことに。

 

求めて探して期待して、

また繰り返して疲弊して。

 

ようやく気づく

既にある答えに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな師匠より

どんなブッダより

どんなキリストより

 

 

一番の先生は自分自身だと思う。

 

 

自分の中に教えも答えも詰まってる。

 

 

外に指針を求めると

自分が何者かが分からなくなる

 

 

 

親、友人、学校、会社、国

誰のために生きてるのか

 

 

 

自分を生きれるのは誰なのか

 

 

きっと自分だけが自分を生きられる

 

 

 

では、自分を生きるために必要なことは何か

 

 

 

 

それは自分を知ること

 

 

 

 

自分とは何者なのか

世界にとっての自分の役割とは何か

自分の魂は何を望んでいるのか

 

 

 

 

 

仮に魂が光であるとすれば、

魂を知るためには真っ暗な闇が必要になる

 

 

 

 

星が夜空の闇の中で輝いて見えるように

 

 

 

闇の中で自分という存在が見えてくる。

 

 

 

 

認識して初めて意識的な生が始まる。

 

 

 

 

 

 

人は光を求めるけど、

光だけでは自分は見えてこない。

 

 

 

 

 

誰かと楽しくわちゃわちゃするのも大切だけど、

独りきりになり孤独な闇の中に自分を置いてあげる時間も必要。

 

 

 

 

 

 

そして問い続ける、

自分は何がしたいのか、何をしてる時が幸せなのか、どう生きていきたいのか、自分とは何者か。

 

 

 

 

そして何かが見えてくる、

自分の役割、使命、魂的な何かが、きっと。

 

 

 

 

 

それを知った上で生きること、人と関わること。

 

 

 

 

 

 

悟りを開いたお釈迦様が、山の中でひっそりと生活せずに、俗世に戻って生活したように。

 

 

 

 

 

ずっーと孤独でいたら役割を果たせない。

 

 

 

 

バランスが大事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

環境や状況は関係ない。

自分の在り方だけが世界に影響する。

 

 

 

 

今、自分が生きている場所でどう生きるか。

今、自分が関わっている人とどう関わるか。

今、自分が何をしているのか。

 

 

ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

連続する今をどう生きるか。

 

 

「未来」からやってくる期待や不安に惑わされると、今、何もできなくなってしまう。

 

 

想像を生きるのではなく、リアルを生きる。

 

 

3次元の地球に生まれた者だけに与えられる特権、「現実」を生きること。

 

 

フェイスブックのためでもインスタグラムのためでもなく、現実を生きること。

 

 

 

 

 

教えようとするのではなく生きること。

伝えようとするのではなく生きること。

 

 

 

誰かに見せようとしなくても、

必ず誰かが見てくれている。

 

 

親なり友人なりコロ助なり

 

 

誰も見てくれてなくても

お天道様は見てくれてる、きっと

 

 

 

だから生きれる。

 

誰も見てくれてなかったら人は生きれない。

 

というより、誰も見てくれなければ、人は存在できない、量子力学的には。

 

 

 

 

まあ何でもいいんだけど、

とりあえず、全てはきっと、大丈夫。

 

 

 

 

そんなこんなで、今日も楽しく生きていきましょう。

 

 

 

 

 

それではまた👋

 

 

 

 

 

タイプワイルド

 

マサラタウンにさよならしてからどれだけの時間経っただろう

 

 

 

 

 

 

はい、皆さんご存知ポケモンエンディングソングですね。

 

 

 

 

 

久しぶりにブログでも書こうかなと思った時に頭の中で流れた曲でした笑

 

 

 

 

 

 

てかタイプワイルドって意味わからん。

 

 

タイプなワイルドなのか、タイプをワイルドするのか。

 

 

 

 

まあいいや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、最近の銘形一哉は頭をフル稼働させております。

 

 

 

 

 

 

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いっちょまえに企画書とか書いてみたり、

 

 

 

 

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絵心ない芸人にも負けないくらいの絵心の無さを誇る僕がイメージ図を描いてみたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学やめて論文書かなくてラッキーとか思ってたけどちゃんとツケが回ってきました。笑

 

 

 

 

 

 

 

やりたいことだからいいんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕、最近自分のやりたいことに関して新たな発見があって、これまでは村のような感じで人が集える場所を作りたいと思っていたんですが、

 

 

 

 

 

さらに大きなこと言っちゃうと、僕は人が豊かに暮らせる“社会”を創りたいんだなって気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

会社じゃないよ、社会だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんというか、自分が創った社会を俯瞰して見ていたい。

 

 

 

 

 

どんな社会かというと、人がシンプルに豊かで笑ってられる社会。

 

 

 

 

 

 

 

そんな仕組みの社会を創りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

まずはそのきっかけを今暮らしている土地で実現させます。

 

 

 

 

 

 

既にある豊かさを生かしていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人が集って語ってご飯食べて

 

 

 

 

 

 

 

そんなことをゆっくりとできる生き方をこれからも続けていきたいと思う今日この頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

吹屋には本当に豊かな何かがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそれは本当に本当にシンプルなことだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなシンプルな生活を、心と身体と魂に刻み込ませていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそんなシンプルな豊かさを自分と自分の周りの人たちと感じられるような社会を創ります。

 

 

 

 

 

社会というかきっかけかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会ってよく分からないけど、きっと何か大きなものではなくて、自分の身近な人たちとの関わりのことだと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

それがいつか大きくなって、更に大きくなって、世界を包み込む社会になると思ってます。

 

 

 

 

 

だから、身近な人と争い続ければそれはいずれ戦争になるし、逆に身近な人たちと愛や思いやりをもって助け合えれば、世界は平和になるはず。

 

 

 

 

 

 

 

要は、一人一人がどんな選択をするかだけ。

そしてそれぞれが、それぞれの社会に向かっていくんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は争うのは得意だけど嫌いなので平和に生きていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

Life is from Birth to Death.

Between Birth to Death,exists something initial “C”.

Something that “C” is “Choice”.

Life is repetition of your “Choice”.

 

Yes,so simple.

 

 

 

 

 

  

 

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 吹屋より愛を込めて

かずや

 

結びの力

 

ゲストハウスを卒業しました。

そして、新たに吹屋で家を借りて生活を始めてます。

 

4人くらいは泊まれる大きな家だからいつでも遊びに来てください笑

 

 

さて、

今日はこっちで田舎生活を始めて8ヶ月が経ち、ゲストハウス卒業という節目の時なので、この8ヶ月で体感して学んだことと自分の興味ある分野をくっつけて色々書きなぐっていきます。

 

 

 

 

 

「人との繋がり」という言葉があります。

 

 

僕が最初に吹屋に来るきっかけになった言葉の内の一つです。

 

 

都会では人との繋がりが希薄になっている的な論が主張されたり、田舎の人たちの繋がりは強い的な声を聞いたりします。

 

 

 

 

確かに僕も東京で生活してる時よりは、こちらでの生活のほうがより多くの人と関わらせてもらっているなと強く感じます。

 

 

 

 

 

都会のほうが人口は圧倒的に多いのに不思議だねえ。

 

 

 

 

都会では人との繋がりが希薄になっているのではなく、人と関わろうとする人が減ってきてるだけじゃないかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 都会では色んなことが便利になり、1人でも暮らしていけるから直接誰かと関わらなくても生きてはいける。

 

 

 

 

 

 

 

人との繋がり

人との関わり

 

 

 

 

繋がりは生きている限り続く。

関わろうとするかしないか。

 

 

 

 

 

 

田舎で生活してる人たちでも地域やご近所さんと関わろうとせずに、ひっそり静かに暮らしてる人たちも普通にいます。

 

 

 

 

 

逆に都会でも、近所付き合いを大切にして生活してる人たちもたくさんいると思います。

 

 

 

 

だから住んでる場所に関係なく、その人に人と関わろうとする意思があるかないかだけの違いですねきっと。

 

 

 

 

 

まぁでも、都会と田舎の両方で生活してみて、田舎のほうが圧倒的に人と関わりやすいと思いますが。

 

 

 

 

 

 

では「人との繋がり」とはなんなのか。

  

 

 

 

 

目には見えないけど確かにあるような、なんだかつかめない漠然とした言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずーっと頭の片隅にあった言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こっから僕の興味のある分野の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は目には見えない世界に興味があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

マクロ的な宇宙、銀河のことや、

ミクロ的な量子力学の世界のことや、

人の魂や死のことや。

 

 

 

 

 

 

 

なんで好きかというと、単純明快とてもシンプルな世界だからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ごちゃごちゃしておらず、理にかなっていて、とても美しい世界だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも吹屋で生活をしてから、この「現実」の世界もとても楽しく美しいと思えるようになりました。

 

 

 

 

 

少しは成長できてるかな。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっき半年ぶりくらいに本を読んでたんですが、その中に量子力学に関する話が出てきて、それ読んだ時にずーっと考えてた「人との繋がり」について自分なりにすっきりしたので、思考の整理も兼ねて書かせてもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんの「中間子理論」。

 

 

 

 

 

 

中間子とは何かを超ざっくり言うと、二つの素粒子の間を行ったり来たりしてる素粒子

 

 

 

中間子が行ったり来たりすることによって、二つの素粒子は結びついた状態であれる。

 

 

 

素粒子とは、この世界に存在する見えるもの見えないもの全て含めたありとあらゆるものの人間が観測できる限り究極の最小単位。

 

 

 

 

 

要はいっっっっちばん小ちゃいもの。

ヒモのような波のような根源的なエネルギー。

 

 

 

 

 

 

だから、人間の体にしろスマホにしろ、全ての物質はその素粒子たちが集まって出来上がってます。

 

 

 

 

 

なので、中間子が素粒子の間を行ったり来たりしないと、全ての物質はバラバラになっちゃいます。

 

 

 

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クォーク素粒子

 

 

 

 

 

 

ここまでそんなに間違った説明はしてないはず。笑

分かりにくかったらすんません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ちょっと普通の世界の話に戻ると、

 

 

二つの物体、あるいは二人の人間でもいいんですが、その二つが結びつけられている状態というのは、

 

 

ヒモのような何かでグルグル結びつけられてるとか、あるいは赤い糸のような、何か分からないけど引力的なサムシングがあるおかげで、二つのものが結びついているような感じがします。

 

 

 

 

 

 

ですが素粒子の世界では、ヒモでぐるぐる巻きにしたりせずとも、中間子が素粒子の間を行ったり来たりするだけで二つの物質を結びつけているようです。

 

 

 

 

 

なんだか不思議な感じじゃないですか?

ちょっと面白くないですか?

 

 

 

 

くっつけよう!

 

とか

 

引っ張りあおう!

 

 

 

とかって感じではなく、

 

 

 

小さな物質が行ったり来たりすることで、

 

 

結びついている

 

 

 

って感じ。

 

 

 

 

 

ここで僕は「はっ」としました。

 

 

 

 

僕たちを形成している、1番根本の素粒子の世界の結びつきがそうであるなら、きっとフラクタル(相似)的に人間同士の結びつきも、目には見えない何かが行ったり来たりすることで繋がりあってるだけじゃないかと。

 

 

 

 

人と人との間を行ったり来たりするもの。

 

 

 

 

 

 

多分それらは

愛、情、思いやり、悲しみ、憎しみ、怒り、

のようなもの。 

 

 

 

 

どんな物が間を行ったり来たりするかによって、その繋がりの質は変化しますね。

 

 

 

 

だから、人とどんな繋がり、結びつきにしたいかは、

その人とどんなキャッチボールをしたいかだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

与えて受け取り、受け取り与える。

 

 

 

 

Yes,so simple.

 

 

 

 

 

 

 

ただ、それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

巷では、与えることの重要性を説く自己啓発本が人気だったりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリストも

「与えよ、さらば与えられん」というお言葉を残してます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはその通りだと思います。

自分が相手に与えたものが、まるまる自分にも与えられる。

 

 

 

 

 

 

 

相手に与えてあげれるものは、潜在的に自分には“ある”と思ってるものだから、自分にも与えられる。

 

 

 

 

逆に、相手に与えられないものは、“自分には足りてない、持ってない”と潜在的に思ってるものだから、自分にも与えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでキャッチボールの話に戻すと、人との繋がりにおいて与えることが重要であるならば、同様に受け取ることも非常に重要だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

周りの人に与えるだけ与えて、自分は受け取らないという人がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分には何かを受け取る価値がない」とか根底で思っている人であったり、 

 

 

あるいは、人に言いたいこと言うだけ言って、相手からの助言や諫言は受け取らない人。

 

 

 

 

 

 

 

こういう状態の人は、周りの人たちと豊かな繋がりを持てないかもしれません。

 

 

 

 

 

 

呼吸に例えると、息を吐くだけ吐いて、吸うのを忘れちゃってます。これでは苦しくなります。

 

 

 

つまり、自然の流れに逆らっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきの繋がりの話と照らし合わせても、上手くキャッチボールができてないから結びつくことができない。

 

 

 

 

 

 

 

逆もまた然り、与えず受け取るだけの人。

 

 

 

 

 

 

 

溜め込むばかりでは濁ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

人間関係、感情、お金、情報

ほとんど全てのことにおいて当てはまると思います。

 

 

 

 

 

 

 

自然界の法則に従い、キャッチボールすること、循環させてあげることが豊かに生きる道の一つだと感じてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ごちゃごちゃ書いたけど、要は与えたらきちんと受け取る。頂いたらきちんとお返しする。

 

 

 

 

そのキャッチボールにどんな意思をのせるか、どんな関わり方をしようとするかで、その繋がりの質が変わる。

 

 

 

 

 

繋がりは生きてる限り無限に続く。

関わり方次第でその繋がりの質が変わる。

だから自分がどんな繋がり方をしたいかで関わり方を決めればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらに来て8か月、色んな人と関わり、色んな繋がりができました。

 

 

 

 

ある人たちとは信頼し合い笑いあえる繋がりを。

ある人たちとはそうでない繋がりを。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の課題は人を受け入れること。

受け入れてるつもりだけどきっと受け入れてないことが多い。

 

 

 

 

 

 

 

関われば関わるほど見えてくる。

自分は鋭利な刃物のような一面もあることを再認識しました。

 

 

 

 

戌亥天中殺の僕は2018年2019年から天中殺なのできっとその辺の試練もあると思いますが、2020年に精神的に一皮向けた銘形一哉になれるよう精進して参ります。

 

 

 

 

 

 

戌亥天中殺の人は共に精進していきましょう。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ今回はこんな感じで。

長い文章をここまで読んでくれてありがとうございました。

 

 

それではまた!

 

 

9136日目 Birthday

おかげさまで、10/17をもって25歳を迎えることができました。

 

 

 

 

 

やはり誕生日に、メッセージや手紙やプレゼントをもらえるのは嬉しいですね。

 

 

 

 

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 嬉しいプレゼントも色々いただきました。

 

 

 

 

そして今年もまたひとつ、スナフキングッズが増えました笑

 

 

 

 

 

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スナフキン好きを公言してるおかげで少しずつ集まってきてます。笑

 

 

 

 

 

「好き」って不思議なエネルギーですよね。

 

 

 

 

 

でも、なんで「好き」に集まるんですかね。

 

 

 

 

 

 

てか、そもそも「好き」ってなんですかね。

 

 

 

 

 

人が好き、異性が好き、物が好き、お金が好き、etc

 

 

 

 

 

 

スナフキンが好き→スナフキン集まる ◯

 

 

お金が好き→お金集まる ?

 

 

誰かのことが好き→その人と付き合える ?

 

 

 

 

 

 

まあ一概には言えないですね。

 

 

 

 

 

お金が好き、と公言してお金が集まる人もいればそうでない人もいるし、

  

 

 

誰かのことが好きで、両想いになる人もいれば片想いで終わる人もいるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はスナフキンが好きですが、別にスナフキングッズを欲しいとは思ってないんですよね。

 

 

もちろん好きだから、プレゼントしてもらえたらとても喜びますが。

 

 

 

これが「好き」のおもしろいとこですよね。

 

 

 

 

 

僕は、ただ、スナフキンが好きなんですよね。

 

 

 

 

スナフキングッズをもらったから、スナフキンが好きなのではなく、

 

 

 

 

ただただ、スナフキンが好きなんですよね。

 

 

 

 

 

だから、スナフキングッズをプレゼントされたら、嬉しいんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この順序が逆になると、期待に苦しむパターンになりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

スナフキングッズが欲しい、つまり喜びを感じたい→スナフキン好きだと公言する→もらえない→私は不幸だ→人生はクソだ

 

 

 

 

 

 

極端すぎるかな笑

 

 

 

 

 

 

お金とか人に置き換えると分かりやすいか。

 

 

 

 

お金たくさん欲しい。私はお金があれば幸せになれる→お金好きだと公言する→お金がない→私は不幸だ→人生はクソだ

 

 

 

 

 

あの人が好きだ。あの人とお付き合いできれば私は幸せになれる→告白する→フラれる→私は不幸だ→人生はクソだ

 

 

 

 

まぁ無きにしも非ず。笑

 

 

 

 

 

 

期待しながら生きてると、だいたい苦しむ結果になりますね。

 

 

 

 

 

 

 

私はお金があれば幸せになれる。

 

 

言い換えると、お金がなければ私は幸せになれない。お金のない今の私は幸せではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

同様に、

 

あの人とお付き合いできれば私は幸せになれる。

 

すなわち、あの人とお付き合いできなければ私は幸せになれない。自分自身で幸せになることはできない。

 

 

 

 

 

 

 

期待ってつまり、幸せとか喜びを条件化することなんですかね。

 

 

〜があったら嬉しい。

〜してもらえたら幸せ。

 

 

 

でも、幸せとか喜びって、そういうものではなくて、実は既に身の回りに溢れていて、それに気付けるかどうかだけだと思います。

 

 

 

 

 

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る。

 

 

 

 

 

 

 

豊かさとは、身の回りに溢れている幸せに気付ける力だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が豊かな人はどんな些細なことに対しても感謝できる力がありますね。

 

 

 

 

 

 

お金は豊かさの内の2%くらいしか占めてないと思います。

 

 

 

 

 

豊かさの扉が100あったとしたら、そのうちの2つだけです。

 

 

 

 

 

 

豊かさをお金に制限すると、残りの98個の扉の鍵を閉めてしまうようなもんです。

 

 

 

 

 

 

 

また惜しからずや。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたの右腕を5000万円で売ってください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

断ったあなたは、自分の右腕に5000万円以上の価値があると思ってるわけです。

 

 

 

 

 

つまり、既に5000万円以上の資産を持っているわけです。

 

 

 

 

 

 

あーらお金持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普通に空気を吸えてるのって、どれくらいの価値があるんでしょうか。

 

 

 

 

身体が自由に動かせることにはどれだけ価値があるんでしょうか。

 

 

 

 

 

見渡せば、周りは豊かさに溢れてます、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好き」ってなんだろうから飛躍しましたが、要は「好き」は「好き」ってだけでいいと思います。

 

 

 

「好き」のその先を求めなくてもいいんじゃないってことですかね。

 

 

 

   

 

 

 

 

あなたを好きになれた私は幸せ。

 

 

お金を好きと言える私は幸せ。

 

 

 

まぁ僕らはだいたい幸せですよ、ほんとに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに書いたけど、やっぱりまとまらない感じが僕らしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

25歳はどんな年になるんでしょうか。

 

 

 

とりあえず地に足つけて日々を生きていきます。

 

 

 

 

 

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豊かな日々に感謝。

 

それではまた!

 

 

 

9089日目 グラビトン

どーも

お久しぶりです。

 

昨日まで東京長野石川をぐるっとまわってました。

 

会ってくれた人たちに感謝です。

会話の中で、改めて自分の想いややりたいことに気づかせてもらえました。

 

ということで、改めて自分の想いをまとめてみます。

 

 

 

 

 

 

平和に

豊かに
人と関わりながら
自然と関わりながら
安心して
好きなことをして
不安なく生きる

 

 

苦労しないということではない
むしろ若いうちはたくさん働いて動いて経験する。

 

 

 

 

安心して暮らせる場を作りたい。
それが村のようなものだった。

 

 

 

 

自分にとっての「安心」とは、「ああ、大丈夫なんだ」と思えること。

生きること自体に不安なく暮らせる場。

 

 

 

 

今は、ただ生きることに対する不安が多すぎるような気がする。

 

 

 

 

人間関係、健康、食べもの、お金、将来、子育て、老後

 

 

 

色んなことが複雑になって、誰かが作り上げた不安がメディアで広告として流れ、それを回避するために色んな必要のないものが売れていく。

 

 

 

 

何かを避けながら生きるのか、
何かを選びながら生きるのか。

 

 

 

 

 

なりたくない将来を恐れて今を生きるか、
なりたい将来を描いて今を生きるか。

 

 

 

レストランで注文する時、自分が食べたくないものを注文する人はいないと思うけど、

 

 

なぜかこれが人生になると、いつかの何かのために、今やりたくないことを選択している人たちがいる。

 

 

 

 

僕は自分と同世代の人たちが就職活動で、やりたくもないことのために選択を迫られている姿を見ているのがとてもつらかった。

 

 

 

 

本当はやりたいことがあるのに、家族や友人からの反対、経済的不安、生活の不安からそれをできない人たちもいた。

 

 

 

 

でもやりたいことがあるんなら、やっちゃえばいいのにって思ってた。

 

 

 

 

だから自分はやりたいことをやって生きていこうと決めた。

 

 

 

 

こんな風に生きても大丈夫だよって生きて示せるように。

 

 

 

 

そして大学もやめた。

 

 

 

 

やりたいことのために学歴は1ミリも関係ないってことを生きて証明できるように。

 

 

 

 

そしていつか、自分の中でワクワクすることがあり、それを表現することで誰かの笑顔を作りたいと思うひとたちが、安心してワクワクすることにエネルギーを使えるような場を作りたい、と強く想うようになった。

 

 

 

で、話戻して、現時点で僕が考えてる「安心して暮らせる場」って、

 

 

 

 

簡単に要点まとめると、
・生活費が限りなくゼロに近い
・近所の人たちと助け合える
・自給自足である程度食料を確保できる
・物々交換、物技交換が成り立つ
・村全体で子どもの面倒を見れる

 

 

 

 

で、僕は今どんな感じで生活してるかというと、

 

 

 

吹屋に来て5ヶ月間、ほとんど食費かかってない。誇張なく自分の食べるものに一万円使ってない。

 

 

 

つまり、ほとんど近所の人たちに支えられてる。野菜もらって、おすそ分けもらって、一緒にご飯食べさせてもらって、

 

 

 

その分、自分だからできること、自分の存在として喜んでもらえることで、お手伝いしたりお礼を表現したり。

 

 

 

 

畑も使わせてもらってる。野菜を育てるのは楽しい。野菜がありあまる。食料にはきっと困らないと思う。

 

 

 

 

住む場所も、今は住み込みだから家賃ゼロ。仮に他のとこに住んだとしても相場は家賃一万円くらい。

 

 

 

 

空き家はたくさんあるけど、今は住める状態じゃないところが多いから整備する必要がある。

 

 

 

 

収入は整体と週二回のバイトで生きていけます。そして最近から新聞配達も始めたので貯金もできそうです笑

 

 

 

 

新聞配達は毎朝3時起き、
1日がまー長くなること。

 

 

  

何が良いって、毎朝違う自然の美しさを見せてもらえます。

 

 

 

 

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新聞配達はかなり豊かな仕事ですよ笑
ついでにバイクと車まで手に入ります。

 

 

 

 

 

だいたいこんな感じで生かしていただいております。

 

 

 


最近は生きること自体にワクワクしてます。

 

 

 

 

趣味は生きること

 

 

 

 

平和に
豊かに
人と関わりながら
自然と関わりながら
安心して
好きなことをして
不安なく

そして好きなことのために動き回る

 

 

 

僕は今こんな感じで生きていきます。

 

 

 

そしてこれからは、そんな感じで生きたいと願う若者たちが割とガチで住めるような環境を整えていきたいと思ってます。

 

  

 

てかやります。

 

 

 


とりあえず雇用と住む場所。

 

 

 

衣食住が大丈夫なら大丈夫じゃないですか?笑
シンプル過ぎますか?笑

 

 

 

お願いごとはしてあるので、あとは目の前のことを楽しんでやっていきます。

 

 

 

 

 

だから待ってますね、笑

 

 

 

 

 

 

共に豊かな今を

 

 

 

 

 

 

 

 

それではまた!!

 

 

 

 

9043日目 伝わるもの

 

がっちゃんです。

 

 

 

 

ブログを頻繁に更新しない時は元気な証拠です。

 

 

 

 

 

おかげさまで元気に楽しく過ごさせてもらってます。

 

 

 

 

 

 

最近Facebookのアプリを消しました。アカウントは残ってます。

 

 

 

 

 

 

 

なんか無くてもいいや、ってなっちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

何か発信しなければ、と半年に一回くらいのペースで近況報告的なことしてましたが、

 

 

 

 

 

 

根底は、認めてもらいたい欲求的なやーつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

少し変わった生き方してる自分見て〜

楽しんでるよ僕〜

 

 

 

 

 

 

 

みたいな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと不安からきてたんでしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が、深い部分から人生を楽しんでいるなら、わざわざ伝えようとしなくても、人生楽しんでる感は自然と伝わるし、そもそも伝えようとする必要もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分、何かを誰かに「伝えよう」としてる時は、不安、恐れ、期待、強迫観念、エゴの内のいずれかがあると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が何かを「伝えよう」としてる時はそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近生活をしてて思うことは、やっぱり人に伝わるのは生き様なんだなということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きてる様。

背中で語るとはよく言ったもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子は親の背中見て育つと言いますが、親だけではなく周囲の大人たちの背中ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人たちの生き様を見て子供たちは育っていく。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

だから、地球に自然に生命に優しく、平和に豊かに生きていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経済発展や技術革新では人を豊かにすることはできないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てか、VRってなんですか。

 

幻想の中で更に幻想に浸ったら本当に色々分かんなくなっちゃいますよ笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだか色々おかしな世界ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

もうね、だいたいにおいて浅いと思う。

てかね、人間の可能性をなめてるんですよ、みんな笑

 

 

 

 

 

 

さーて乗ってきた笑

 

 

 

 

 

 

 

 

人にどうこう言う前に自分がそう生きろってこと。

 

 

 

 

 

自分がそう生きれば、世界はそうなる

by オレ

 

 

 

 

 

 

世界にそう伝わるんですよ。

共鳴ですよ、共鳴。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は吹屋の人たちと楽しく豊かに暮らしてるので、共鳴する人たちを氣長に待ってます笑

 

 

 

 

 

 

 

限界集落でも大丈夫ってことを背中で語ってやりましょう笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回も良い感じにまとまりがない!!

さいこう!! 

 

 

 

 

 

読んでくれてありがとう!!

またね!!